レザーを着て死ね

夏でもレザー着てる人のブログ hustle & hustling

日本は寛容さを取り戻すべきである

昔は良かった。まだ30代だけど、幼少期を過ごした80年代から90年代初期は本当に良い時代だったような気がする。昔のことだから美化されているのかもしれないけど。それにしても人情や寛容さが残る牧歌的な時代だったような気がする。

私が青春時代を過ごしたマンションの近くに小さな公園があった。学校が終わると皆ダッシュでその公園にむかい、暗くなるまで遊ぶのが日課だった。そんな子ども達の遊び場に「チンポコポロリ」はいた。チンポコポロリは40代前半ぐらいだったと思う。いつも発色の良い暗闇でよく光る短パンと、背中の大部分がえぐれたクタクタのランニングという奇怪かつ滑稽な出で立ちで、私達と一緒に遊んでくれた。おじさんはかなり遅くまで遊んでくれるのだが、遊んでいる途中、なんの脈絡もなしに1日最低2回は「チンポコポロリー!」と叫びながら猛った男性器を私達に見せた。そんなおじさんの男性器を見て、ウンコだチンコだの下品な言葉が大好物な多感な時期の私達は、皆一様におおはしゃぎ。そんな反応に気を良くしたおじさんはポロリする回数をどんどんエスカレートさせ、しまいにはほとんど出すようになった。

そんなおじさんは「門限なのでそろそろ家に帰る」と、帰宅をほのめかすと両手をこれでもかと言わんばかりに大きくひろげ「バッチコイ!」と高らかに叫び、一人一人力一杯だきしめてから見送ってくれた。異常な愛情を強制的に押し付けてくるおじさんだったが、かわいがってもらえることが嬉しくて嬉しくて、皆公園にいくのを本当に楽しみにしていた。

しかしそんなある日、私たちのグループの1人が母親に「おじさんのチンチンは担任の先生よりでっかい!校長先生と五分!」みたいなイカレトンチキのような自慢をしたことから事態は一気に暗転した。母親同士で緊急会議が行われ、ただちに皆で「チンポコポロリ」がいる公園まで事態の確認にいくことに決まったのだ。普段子どもしかよりつかない公園に大人が大勢押し寄せる。不穏な空気を敏感に察知したおじさんは、草むらに走って逃げるという短パンランニングをフルに活かした逃亡劇を図ったものの、異常に発色の良い短パンが仇となり、すぐに母親達に発見され取り囲まれてしまった。怒り狂った親達は口々に「変態だ!」「なぜ男性器をみせるのか!」「警察につきだす!」とすごい剣幕で責め立てた。
しかし、おじさんは持ち前の異常性を大いに発揮し、悪びれる様子も見せず「医者に言われた。患部を外気に晒しているだけだ」と言い訳にもならない言い訳を逆に親達にまくしたてた。
呆気に取られた親達は、一瞬反応に困ったもののもう関わりたくないといった様子で「病気なら仕方がない」「心中お察しします」などと詭弁を口々にたれながし、最終的には警察には届けないが、今後公園に近寄らないことを約束させるという案を提示し、とりあえず事態の収束を図った。

しかし、その後もおじさんは全く懲りていない様子で「お母さんに内緒やで」と、飴玉を配りながら不適な笑みをうかべ週1ペースで公園に姿をあらわしていた。そんなおじさんも数ヶ月後、街から突然姿を消した。

それからおじさんがどこで何しているのかは誰も知らない。

 

自分ももうすぐ40。あの時のおじさんの年齢に追いつこうとしている。

大人ってすごい、自分も大人になったらあんな風になってしまうんだ、と思っていた自分。

あの時ダッシュで逃げたランパンのおじさんの背中すら見えないけど僕は僕で大人になりました。


おじさんは、今もどこかの街でチンポコポロリしているのだろうか。

 

していて欲しいなとは思う。