寄付とは美学である
国民一人あたり10万円の給付金が配られる。そのニュースを知ったとき、暗いニュースだらけだった日本が少しばかり沸いた。
私自身も高揚し、心の中で頼りない日本のリーダーへも少しばかりの労いと感謝を送ったものだ。
しかし、人間の感情というものは長くは続かない。
ほとぼりが冷めるやいなや、その総理の決定にも様々な意見がでてきた。
取り分け大きな議論になっているのは、給付金の使い方についてだ。
芸能人を中心に 俺はもらわない、俺は寄付すると表明する人間や、いや黙って貰っとけやと逆にそれを批判する者がでてきたのである。
この件について、誠に僭越ながら私見を述べさせていただく。
それは、『寄付でソロバンをはじくやつには反吐が出る』ということだ。
寄付を素直に受け取ることと、寄付を公表すること どっちがお得なのか?
寄付を公表することによって多大な+の影響がある。たかだか10万で、そんなイメージが買えるなら、イメージで商売をする芸能人からすると超お得だろう。
寄付する人=良い人 というイメージは事実あるのだ。寄付してるって聞いたらカッチョイイって単純になりますもん。
そんなソロバンをはじくぐらいなら黙ってやるのが私の正義。
確かに有名人等が、寄付を公表することにより啓発という意味で一定の効果はあるのかもしれない。しかし、やっぱり自分は公表しない方が断然漢気を感じる。
震災の際、サッカーの本田圭介さんは、5千万もの大金を寄付したが、一切公表せずに第三者が勝手に情報もらしたからね。それ一番かっこいいじゃないですか圭介さん。まぁ本田さんは公表どんどんしろと言ってんだけどもね。
自分が1番かっこいいと思う選択をしたい。
寄付なんてものは、かっこ良い悪いじゃなくて困ってる人が喜べば良いと言われればそれまでだし、人それぞれ考え方があるのであくまでも自分の理想なんですがね。
ただ私はね、なんかボランティアとか寄付とかって無償の愛が試されてると思ってるんよね。そこに1割でも自分の為にって感情が入ってしまうと、とてつもなくかっこわるいものに見える気がする。せっかくの9割の善意が台無しになる気がする。10割の善意は難しいけどねホント。
まぁ結局何が言いたいかっていうと、自分の友人に厳鉄(がんてつ)って子がいましてね、胸板うっすい。
その子がね、高校生の時にかっこつけて黒のポークバイハットかぶって学校いっててね。でも、なんか足らん。なんか周りの反応も悪いってことでアレンジ加えることにしたらしい。それで赤い羽共同募金に募金して、もらった赤い羽をポークバイハットにさして、アクセントに使ってた。
10割の悪やね。
今回の寄付の仕方で、人間性がもろにでるよね。試されてるよ。
今のところ押し並べて、寄付を表明してる奴には、宮根誠司や坂上忍のような人のために生きてこなかったような極悪人ばかりだ。
特に宮根誠司は大阪時代に会ったときごっつい感じの悪さやったからね。
宮迫のやることの全部逆バリ。
これが私の選択